猪木がいない

力道山も知らないし、馬場猪木の全盛期もリアルタイムでは知らない世代なんすけど、馬場と違って猪木に関してはその残滓を十分に味わってたし、キラーも見たし、引退も見たし、引退後のズンドコもずっと見てたし、やたらにイベントに担ぎ出されるのも見てきたし、自伝も読んだし、永久機関も何回か見てたし、政治家やってて笑われてんの苦々しい気持ちになってたし、フィクションの中の猪木も散々見てきたし、タバスコ見るたびに猪木のこと思い出してたりしたけど、晩年の猪木からは目を逸らしていたんだよな。今この瞬間それに関しては非常に申し訳ない気持ちになってるけど、あんだけ強かったというか強く見せてた人がああいう姿になって元気がないからなんにも出来ない感じになっていくの、身内でもなければなかなか受け止めきれないし、正直元気がある頃にはそれはそれで余計なことばっかやってんなって思って嫌な気持ちになったりしてたけど、やっぱカリスマなんすよね。まだうまく落とし込めてないけど、本当に死ぬんだなアントニオ猪木という感じが強くて、この感情、記憶の中では父親が死んだときに本当に死ぬんだな父って思って以来で、そこにいて当たり前、強くて当たり前、人間性がヤバすぎて憎んだりもしたけれど嫌いになったことはないっていう感じの共通点というか、同じ分類に入ってたんだろうなきっとということを考えたりしました。しかしプロレスラーとしては本当に完全体というか、強さというか強そうという点において満点の人だったなと思いますっていうか、受け入れようと思って書き始めたけど全然受け入れられてない。