2009-03-24

[]「完本 1976年のアントニオ猪木柳澤健

なんかタイトルだけ見るとアントキの猪木というフレーズが頭の中でこだまするんですけども、だいぶ真面目なプロレス本であった。つうかまあいつか読もういつか読もうと思っていたんだけど、なんとなく読めないままで文庫落ちしたんで読んでみたらば、なんか妙に複雑な気持ちになったというか一番近い感情としては寂しいが当てはまるのかなという感じの本。まあこんな気持ちになるのは解ってたし、だから基本的には裏事情みたいなのが書いてあるのはほとんど読んだことないんだけども。しかしこの本は導入部で引き込まれてしまったのでしょうがない。しょうがなく読んだ。面白かった。

イリアム・ルスカから始まって、モハメド・アリ、パク・ソンナン、アクラム・ペールワンと猪木が生涯でたった三度だけ戦ったと言われるリアルファイトつうかシュートマッチつうか真剣勝負した時の状況を客観的に書いている…ような気もするけど、客観的つうかどちらかに分類したらわりとプロレスに否定的な温度を感じるのだけど、そのせいで余計なんか興味深く読ませるのですよね。

つうかまあ、猪木が新日本を立ち上げるまでくらいの話は色んな所で散々読んでるんだけど、本当に事実を淡々と記録するよという感じで書かれるとまた違った趣があるといいますか、まあ言ってしまえばノンフィクションのていなので、その時実際にあったことが面白かったという話なんだろうけども。猪木がいかにしてリアルファイトをやるに至ったのかまでの背景の説明がいちいち面白いのである。というか断言するとだいたいのことは事実であるような気がするから得ですよね断言。猪木にインタビューしたわけじゃないのに猪木がどう思っていたかが書かれている矛盾もあるけど、断言されると気にしないで読める。それが良いか悪いかはともかく。

この本は基本リアルファイトの猪木を書いてるはずなのに、プロレスラー猪木っつうか、表現者としての猪木がものすごく魅力的に描かれていて、やはり猪木は美しいという感想を抱いてしまうのである。アントニオ猪木の自伝を読んだときにもそう思った。猪木世代ではないのだけど、やっぱ猪木はすごいと思わせるなにかがプロレス本の中にはあるのよね。いつだって思い出の中の猪木は美しい。

そしてその猪木が作ったプロレスの流れから総合格闘技プロレスみたいな感じになって話はまとまるんだけど、最後の方の駆け足で書かれる猪木の落ちぶれ方がものすごい。あくまでも1976年のアントニオ猪木以外は簡単に書かれるのだけど、その1976年以外のアントニオ猪木がものすごく強烈に印象に残るのであります。まあなにはともあれ猪木を語る上で馬場とアリは外せないという話ですよね。

しかしまあこうやってプロレスを解体してしまうような、当時の事情を読んで楽しめるっていう状況はもういくらかプロレスが過去のものになってしまっているという現状なんだろうかねとか思ったりするんですけどもどうなんだ。まあ今のプロレスとこの時代のプロレスは別ものとかそうやって割り切れればいいんだろうけど、そんな事はないし。まあ一時思っていたのが、全日本以外はほとんど全部新日本から分岐したようなもんじゃないかと思っていたわけであり、結局の所猪木と馬場というアイコンから逃れられない世界なんじゃないかと感じてたんだけどもそうじゃないプロレスも最近はあるような気もする。あとなんでもいいけどUWFだけはガチっていうことになりませんかねどうにか。なんとか。ねえ。

俺の中の猪木は偉大なレスラーでありながらある意味でプロレスを裏切り続けてきたイメージがあったんだけども、まあ自分でこんだけ築いてきたものがあるんだからある程度までは崩すのは自然の摂理なんでしょうかね。この本の中で一番しっくりきた言葉は猪木はプロレスは俺一代と思ってたんじゃないかという部分であり、それを念頭に置くとだいたいのことはすっきり理解が出来てしまうのだよな。うん。

この本全部読んで最後のインタビューまで読んであらためて思ったけど、猪木の本当にすごいところはここで絶対やらないだろうというところでグダグダに出来てしまう所だと思う。グダグダにする必要がないところでグダグダにしてしまうという。それは本当にすごいと思う。普通の人間ならまとめようとするところをぶちまけっぱなしで終わるという。すごい。

とりあえず俺は普通の人間なのでまとめに入りますけども、最終的に抱いた感想としてはプロレスってすごいというか深いというかなんつうかある種の人間にとっては底なし沼みたいなものであるよなと思った。もうズブズブですよ。プロレスは人の感情をどうにか出来てなんぼですよな。感情だけを弄りすぎるのもどうかとも思わないでもないですけど。

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)