2013-02-04

[]だからといって必要だというわけではない

なんつうかもちろん自分も含めての話なんですけど、自分の子供から青年期なんかの経験でとんでもない理不尽であるとか、制裁の意味での暴力をなんかを頻繁に受けて育った人間って、今考えるとまあそういうことやってた人の意図を理解できない部分がないでもないんだけど、やっぱりその頃にはものすごい不快だったし、恐怖もあったし、まあとにかく嫌だなあと思っていたので、自分はそういう人間にはなるまいって考えてはいるんですけど、まあ多分そういうのって世代的に昭和の最後の世代くらいまでなのかなって想像したところで、自分たちの世代がみんなそんな考えになっていたとしたら、自分たちの下の世代が理不尽やら暴力に晒されず生きていく事になって、そういった行為に嫌悪感を抱く機会も得ずに、その下の世代に対して理不尽や暴力を発信していくことになったらなんかすごい嫌だなあと思ったんだけど、実は世の中そういうのを1世代おきに繰り返しているのです!ってすごい力説されたらなんか信じてしまいそうな気がする。

しかしまあ、自分たちの世代辺りは理不尽や暴力を反面教師にしようとしているんじゃないかなあとぼんやり考えていたんだけど、自分たちの上の世代にもそういう感覚の人はたくさんいただろうし、それでも自分たちの一個上の世代が理不尽に感じるということは、最近の若者はなっとらんというのが永遠になくならないのと同じような事なのかもしれない。そんでもって自分辺りが一生懸命理不尽にならないようにしてても、相手には理不尽だと思われているのかもしれない。しかしまあ世の中の最大の理不尽と暴力は戦争だと思っているので、戦争から遠ざかっていくと理不尽とか暴力は減っていくのかもしれない。それだったら年月が経つほどそういうのは薄くなっていくのかもしれない。あとまあ世の中の人が大体話せば解る人だったら、もっと平和になるのかもしれないしそうでもないかもしれない。