2007-01-29

[]日記は人に見せるものではないのかしら

一年に一回か二回必ずやってくるローカルに引っ込んで自分のためだけに日記を書いていきたいという思いがやってきた。もうなんか自分の中では恒例のことなので、このまま過ぎ去るのを待てばよろしいというか、まあ書きたければ勝手に書けばいいじゃんという話でもあるわけですけども、それじゃつまらないのでそのことについて書きましょう。

こうしてインターネットに文章的なものを書き散らして四年とか五年とかが経つわけですけども、元々日常日記に強いあこがれを抱いていたんですよ俺は。日常のことをおもしろおかしく書いてるテキストサイトの人たちに憧れていたし、また自分でもまねごとみたいなのをしたりしていましたけども、やってるうちにどうしても違う方向に進んでしまうわけであります。

それは感想文であったりネタ的文章であったりデタラメであったり思いつきであったりする。そんな風の純粋な日常日記とはほど遠い文章を綴ってしまう。なんでそうなるのかということについて自分なりに考えてみたところ、文章に自分自身というものを出していくのがなんとなく怖いというのがあるのだろうとかそういう結論がポンと出た。自分自身というか自分の本当の内面とか今現在の生活とかリアルな行動であるとか。そういうのをどこまで出していいものかなどと考えたりもするし、実際に文章にそういったものを出そうとしてもどうしても出ない自分というのがあったりもする。

それはまあもちろんいろんな人が見るところに自分という人間の頭の中身以外の所を見られるのがなんとなく怖いという気持ちがあるんだろうと思う。要するに臆病なのであろう。臆病であることはまあそれでもいいと思うし、ここに書いていること自体は別に今のまんまであってもいいとは思ってるんだけども、やっぱり俺も日常日記が書きたいじゃないですか。だったらやっぱりローカルで日記を書けばいいじゃないかという感じになって一番最初のローカル日記書きたい!というところにいくのです。

しかし自分だけが読む日記というのはわりと大きな欠点があって、やはりどうしても続かないしモチベーションが保てないのである。一日一行でもいいから書き続けるとかそういう縛りを設ければ続くのは続くんだろうけど、それもなんだか違うような。もっといえば人に見せない前提の日記ほどあとで読み返したときに自分自身がつらそうなものはないような気もする。なんというか自分のためだけの自意識が文章となって残されるのって不気味なような。そういうのは人によるかもしれないですけど。

で、ここまで書いて導かれた結論としては「mixiで書け!」という安直なものだったんですけど、mixiだって規模が小さくなるだけで思うことは一緒であるからなあ。mixiで最初からコメント機能がなくてあしあとがないというのが理想かもしれない。でもそれはもはやmixiではない別のものであるし、元々SNSというのは馴れ合いありきのものであろうし。

とまあだらだらと書いてみましたけど、結局の所ローカル日記ツールをダウンロードしただけで安心していつから始めようか…と思ってるうちにそういう日記熱が冷めるか、二~三日書いて飽きるかそこら辺に落ち着くんだろうなきっと。まあなんにせよ面白い日記が書きたいものですね。そんな締め方でいいのか。いいです。

[]マルビンさん

NOAH鑑賞。ブリスコ兄弟vs鼓太郎・マルビンのGHCジュニアタッグをやってたので見たんだけども、もうなんか身体能力の高さと器用さをどんだけアピールするか合戦みたいになってたので、もはや俺にはこの人たちが何をしたいのかどうなりたいのかが全然理解できないレベルの試合だった。飛んで回って落っこちて大変だ。にしてもマルビンを見る度にこんなに老けてたっけ…って思ってしまうのをなんとかしたい。いい加減慣れたい。あとNOAHのレフェリーのカウント2.9の時の動きは相変わらずすごい。あれは一つの芸だ。積極的に真似していきたい。

[]たまに思うのだけど

緑のおばさんの中には押しボタン式信号機の押しボタン連射してるだけの人が絶対いるよね。