2006-11-28

[]介錯つかまつる

噂でしか知らないんですけども、どうも日本での死刑の執行の際には三人くらいで一斉にボタン的なものを押して、誰が執行したか正確にはわからないようになっているというか、三人でその、そういった気持ちを分け合うというようなことになっているというのを聞いたことがありまして、じゃあそのルーツは武士の切腹にあるのではないかという発想にたどり着いたわけである。

つまり死刑執行人=介錯人という着想。だからこう、腹に刀を突き立てて介錯する際に三人くらいで同時に刀を振り下ろしていたのではないか。という所から一本お話が書けないかと思ったのだけど、なんか危ないので無理じゃんという結論にたどり着いたのでやめた。

[]エアエントリ

いささか時機を逸したような気がしますが「エアコメント」と「エアトラックバック」というのを思いつきました。こう、形にはならないけども心の中ではコメントしたりトラックバックしたりしているんだぜというのを解ってもらいたい時などに使ってゆきたい。あとなんかそもそもの所が間違っているような気もしないでもない。

[]スラムダンク幻想

ネット上で実名を出してしまうのはどうかと思うのだけれども、まああんまり深く考えないで出してしまいますが、仕事でよく会う人に仙道という人がいて、その人はわりといい年なんですけれども、仕事上あんまり頼りにしてはいけない感じの人で、まあそれに関してどうのこうのというのはないんですけど、それでもいつも勝手に心の中で「仙道ならきっと何とかしてくれる」というフレーズが浮かんで、なんとなく頼りにしてしまいそうになる自分自身がなんかちょっとおかしい。頭の中で仙道補正が働いているのだ。

多分世の中にいる仙道さんに対して俺はそんな感じに勝手に過剰な期待をしてしまうと思われるというか、いろんな漫画の他のキャラでは全くそんなことはないので「スラムダンクの仙道」というキャラクターは俺の中に強い衝撃を残しているのでありましょう。ああでも牛股とか伊良子という名字の人などに遭遇したら妙な気持ちになるかもしれない。藤木とか岩本に関しては知り合いの中に存在しているものの変な思い入れみたいなのは発動しません。虎眼とかいう名前の人がいたら別だけど。ってなんでシグルイの人ばかりか。ああ、でももし柳生という姓の人と知り合う機会があれば、ものすごく複雑な感情が発動するかもしれない。しないかもしれないけど。