2006-01-08

[]「チクサクコールうすた京介

短編集。ゲンバリング・ボイのやつだけは読んだことあるような気がするんだけど、あれジャンプに載ってたんかなぁ。うすた漫画なのに意外と普通なのでびっくりした記憶がある。ああでもウサギも牛のも読んだことあるような気もする。正直言ってマサルさん以前のはまだ描き方が定まってないというか、でもまぁこの人の漫画の描き方の骨子の部分が描かれてるような気もするんで結構面白いんですけどちょっときついといえばきつい。

「もうちょっと右だったらストライク」とかは今のうすた漫画っぽいので面白い。やっぱりマサルさん以降の話の方が面白いということを実感するためだけの本という感じもしますけど、UFOマンとかもそれなりに面白いので進化というか成長の過程を読んでいくのが面白かったです。あーこういうのは今だったらこういう風に描くのだろうなぁなどと思いながら読んでいた。

あと最近おまけページに書くことがないでおなじみな感じのうすた先生ですが、一つ一つの作品に対する思い出やら解説が書いてあるのでそれも合わせて読むと楽しめる感じでした。

うすた京介短編集 チクサクコール

うすた京介短編集 チクサクコール

[]禁煙日記

今の自分は喫煙者なのか元喫煙者なのかそれとも禁煙者なのかどの辺にいるのかということについて考える。今現在は禁煙三日目か四日目、って曖昧ですけどだいたいそんな辺りで、まだまだ喫煙者の範疇の人なのではないかと思っている。

そもそも煙草のことを意識する時点で煙草と無縁の人間ではありえないのではないだろうか。ちょっとでも吸いたいと思っている時点では喫煙者の一部なのだろうきっと。これが、何も今止めることはないではないか、止めようと思えばいつでも止められるだの、一本だけ試しに吸ってみようだの、まずもって人に迷惑をかけた覚えはないぞ俺は、俺はクリーンスモーカーでありグッドマナースモーキングであり相撲キングであり相撲王でありなんだったらもう海賊王でありスモーカー大佐であり、モクモクの実の能力者なのだから煙草を吸わなければなるまい!などと何かしら理由をつけ始めるとあっという間に現役の喫煙者に返り咲くことになってしまうのであろう。

現時点でかなり危険というか、一週間とか持った試しがないのでここら辺からもう一つ二つ山場が来るんではないかと脅えているわけですが、こう、離脱というか禁断症状といえば思い出すのはあぶない刑事での館ひろしであり、龍星会とかそういう名前の組織に麻薬を注射された鷹山はベッドに手錠をかけて自らの手をそれに繋いで禁断症状が治まるまで一人で過ごすというようなことをやっていたというのが浮かんでくるんですけど、煙草もさぁもうそれくらいしないと駄目なんじゃないのか。とりあえずなんかに繋いだ方がいいのではないか。そんで終わった頃には頬も痩けて何かげっそりした感じになるといいんじゃなかろうか。そうやってね、こう、死と向き合ってみるわけです。めしとか食わないで。死ぬかもしれないと思ったら煙草止めることなんか楽勝ですよ。たぶん。

しかし問題は死ぬ事に比べたら煙草くらいは些細なことであるとかいって普通に吸ってしまいそうな可能性があったりすると、こういった一切の苦労が一瞬にして台無しになってしまうわけでありまして、もっとなんというか普通に止めたいのよ、俺は。