2006-03-22

[]大人

28年生きてきて思ったんだけど、最近自分自身の軸というか人間性の根本というか骨子みたいなものが出来上がってきてしまったような気がする。何故か最近それをよく感じるのだけど、以前はいい映画を観たりいい小説を読んだりいい物語に触れたりすると、そちら側に一瞬でも引っ張られるような感覚というのがあったんだけど、最近はあくまでもこちらから見た物語として捉えるようになっている気がする。

ここまで非常に解りにくい感じの文章になってるのでよくないような気もするけれど、考えながら書いているので致し方ない。二十代後半あたりで人間の内面はある程度固定化されるといったのは誰だったか。覚えてないけれどそんなことを言っていた人がいたような気がする。それを真に受けているわけではないけれども、なんとなくそういうものか…という気もしている最近。

今までの人生の中でもある程度自分が固まったと思ったことがあったような気もする。好きなもの嫌いなもの、生き方、それに付随する諸々の考え方等々、ある程度この先も自分はこのようにして生きていくのだろう…という感覚を得たことはあるのだけれど、意外とそれは脆く他人の一言などで簡単に綻びをみせたりしていた。

しかし今の自分はそう簡単に曲がらなくなってしまったというか、今までと大幅に違うというわけではないのだけれども、あんまり揺れなくなってきてしまった。これからしばらく生きてあの時はそんなことを思ったけれどまだまだ変わっていくものだよ人間なんて…などということを思ったりもするのかもしれないけれど、なんか今回ばかりは今までに無い感覚であり、今まではそういった感覚に対してなんとなく喜びに近いものを感じていたのだけど、今は寂しいというか悲しいという感覚がある。

ある程度なにかを見切ってしまったというか、ちょっとやそっとでは自分というものはそうそう変わっていかないのであろうなという諦めにも似たような、今はそんな気持ちになっている。それはいろいろな経験がそうさせているのかもしれないし、恥ずかしながら仕事もせずに一年半近く人生の空白を作ってひたすらに一人で物事を考えていたせいなのかもしれないけれども、なんというか年齢やらなんやらではなくて、大人になってしまったんじゃないかなどと感じている。

二十歳超えたらとか自分の食い扶持が稼げるようになったらとか結婚したらとか子供が出来たらとか、大人というものの基準は色々あるでしょうが、なんか最近急に自分が大人になってしまったというような気がしてならない。なんで寂しいのかといったらば常に心のどこかで、大人なんて…大人なんて…みたいなちょっとした嫌悪感みたいなものを持っていたわけで、要するに子供の頃から変わってない自分というのが自分の中にいたわけなんだけども、それが最近見つからない感じである。それが寂しい。

というか、そのような感覚は人それぞれのものだろうし、元々あんまり揺れたりしない確固とした自分を持ってる人もいるだろうし、いつまでも子供のまま生きていける人というのも存在するのであろう。だから誰かの共感を得るためとかそういうのではなくって、ただ単純に今現時点で俺はそのようなことを思っているというのを記録しておきたいと思ったのでとりあえず書いてみた。なのでなんの面白味もない文章になってしまったけれども、まあそういう使い方をしてもいいですよねブログというのは。

しかしこう、大人になるときにはその過程でいやな大人というのをたくさん見ているはずであり、ああいう大人だけにはなるまいというようなことを誰もが思うような気がするというか、実際に自分もそういった反面教師をたくさん見てきたのだけれども、みんながみんなそのように生きてゆくと、ものすごくよい社会が形成されていくのではないかというか、性格の悪いやつなんかいない世の中というのが出来ちゃったりするんじゃないかと思うのだが、そうなってないということはなかなか思い通りの人間になるというのは難しいということなんだろうななどということを思ったりする。

[]仏壇返し

うちには一応仏壇的なものというか仏壇そのものがあるんですけど、こう、たまには線香を上げて手を合わせてみたりもするわけなのですが、半分寝ぼけたような頭でそれを行っていたところ、線香を入れる灰入れというか灰皿というかよく名称は解らないんだけれども、それを勢いよくひっくり返してしまい灰をもろに被った瞬間に「これがホントの仏壇返し…」などということを思ったのだけど、実際には仏壇もひっくり返してないし、ホントのって仏壇返しはエロ四十八手の一つだしッ…!などと思いつつひたすらに俺は掃除機をかけた。