2006-03-26

[]「花と火の帝 下」 隆慶一郎

読み終わるのに一ヶ月くらいかかった。仕事と家庭は本の敵といったのは誰だったか忘れたけれども、仕事だけでこんなに本が読めなくなるとは。悲しい。上巻から合わせるとかなりの時間が経過しているのですが、そんな感じでも感想は一応書きます。

多分誰もが思うことであり、一昔前のジャンプ世代なら確実に浮かぶこの言葉「後水尾天皇の戦いはこれからだ!」というところで終わっているので切ない。隆先生絶筆の作というのは解っているのだけれども、残りページ数とこれから盛り上がってゆくのであろうという感じの展開が切なくて切なくて。

といってもこの小説、手放しで面白いといえる感じではなかったような気もするのである。呪術という概念を用いたのは面白いのだが、隆先生の手にかかると、お…おまっ…空想の世界ならなにをやってもいいからってなにを書いてもいいって事じゃないんじゃないんですか…と思わせられる描写がそこかしこにあった。隆小説の醍醐味というのはあたかも事実をそのまま書いているかのように見えて、どれだけのでたらめをバレないように織り込んでいくかというところにあったような気がするのだけれども、そういうのを一切放棄している。最初からそういうことを念頭に置いてない感じすらするわけであります。

しかし隆先生というのは歴史小説家と呼ばれたかったのか伝奇小説家と呼ばれたかったのか。この一冊が最後というのを知ると、やっぱり根っこはガチガチの伝奇小説家であったのであろうという感じでもある。

あと隆小説といえば徳川秀忠のことは避けて通れない感じなのですが、相変わらずというかなんというかこの小説では家康の死後に、秀忠がどのような非道、悪行を行ってきたかということを綿々と書いている。やっぱりなにか個人的に恨みでもあるんじゃないだろうか。そしてよく考えてみると秀忠が登場する小説では秀忠は死んだことがないのである。どんなにみじめな思いをしようと、自分の考えが全く通らなかろうと、どんなに小者っぷりを露呈しまくろうとも、とにかく生きるのである。

しかしこの小説が続いていれば確実に秀忠の死というのは描かれたはずであり、これだけ好き放題書いている小説であれば隆先生の秀忠に対する思いの丈というのがそこで爆発したのではないだろうか。というかむしろそれを書くためだけにこれを書いていたのではないだろうか。そこまで思わせる何かが隆小説の秀忠にはある。

さぞかし無念だったことでしょう隆慶一郎先生は。隆慶一郎死すとも秀忠死せず。

花と火の帝(下) (講談社文庫)

花と火の帝(下) (講談社文庫)

[]エウレカセブン

アネモネの乗るジ・エンドというロボットの名称を聞くたびに「マスク…」という感じでヘルミッショネルズのマスクジエンドを連想するので俺は駄目である。来週最終回でございますね。最近ようやく面白くなってきたと思えてきたのに。あとクロエの「タクティクスナンバー…」のくだりも思い出すよ。駄目だね。本当に。

[]タイガーハットリくん

ワールドプロレスリングブロック・レスナーvs曙のIWGP戦をやっておりました。レスナーはまあすげえし、曙も今までで一番つうくらい頑張ってましたけど、もうなんかプロレスごっこにしか見えない…。曙はもちろんそうなんすけど、レスナーWWE時代からそんなに器用なキャラでは無かったすもんねえ。とりあえずチャンピオンベルトでの殴打というのはWWE特許を持ってるのかと思ってたらそうでもなかったらしい。つうかタイガー服部は明らかに見てただろあれ。最近は土曜深夜にプロレス失望して、日曜深夜に復活というパターンのプロレス鑑賞であります。